働くきっかけ。その5

  • 2019.08.22 Thursday
  • 07:44

結果として親から言われたバイトをやることによってお金に困ることはなくなった。

特にオタク活動がしやすかったのは大きい。


マンガやレコードが欲しかったら、すぐに買えた。高校時代に「バビル2世」や「サイボーグ009」を全巻買えるなんてありえなかったろう。

声優さんがゲストに出るアニメ上映会などのイベントにも参加できたし、グッズを買ってサインも貰えた。

ファミコンやツインファミコン、そしてスーパーファミコンもそれらのゲームソフトも。


そんな利点を考慮しても、やっぱり働きたくなかった。

働かなかったら少ない小遣いでなんとかやりくりしながらもオタ活はやってたと思う。


でも、働く以外、生きていく手段を思いつけなかった。働き者だと思われるのが苦痛で仕方なかった。


あの時、新聞配達をするなんて思いつきたくなかったな。


……終わり。

働くきっかけ。その4

  • 2019.08.21 Wednesday
  • 07:54

決して働きたかったわけじゃない。単に欲しいものがあったから、それを手に入れるお金を得るために働くしか思いつかなかっただけ。

だけど、わざわざ自力で働き口を見つけてきたからか、どうやら親は僕が働き者だと勘違いしたらしい。


高校受験が終わって行ける学校が決まったころ父から

「バイトしろ」

と言われた。

そのバイト代と片親家庭のための育英金で授業料を払うことになった。


正直、

「エエェェェ?!」

だ。


新聞配達をはじめたせいで、もらえるはずの小遣いがもらえなくなった上に今度はしたくもない勉強をするためのお金を自力で稼ぎださんといかんのか?


……続く。

働くきっかけ。その3

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 07:30

新聞を配って2〜3か月で中古のマイコン、PC-6001マーク2を買えるほどの金額を貯めることができた。

当時マイコン雑誌「ベーシックマガジン」には巻末にショップ情報(たぶん広告)が載っていた。そこに大分県下にある中古ショップに兄に行って買ってきてもらった。


この「喋るマイコン」にはいろいろと言いたいことがあるのだけど、とりあえずここでは脱線になるのでいずれ機会があれば。


目的のものを買ったのだから、ここで辞めてもいいはずなんだけど、さすがに大人にそれは言えなかった小学生。


新聞配達をはじめたころは、全国紙を2〜30部ほどを配っていた。やがて、地方紙を100部近く配ることになった。


なぜ、こんなことに……。

たしかにお金に困ることはなかったんだけど。


……続く。

働くきっかけその2

  • 2019.08.19 Monday
  • 07:51

諦めかけて家に帰ると、電話がかかってきた。

出ると、新聞の販売所から。でも、さっきとは違うお店。


どうやら、僕が働かせてもらおうと行った販売所が気をきかせてくれて管轄の販売所に連絡してくれたらしい。だから、電話番号聞かれたのか。


そして、本当にやる気があるならやってほしいと言ってくれたので、よろしくお願いしますと言う。その後、来てくれて必要な書類を渡される。


その夜、父が帰ってきてから

「新聞配達することにしたから」

と、事後承諾。父に保護者承諾の書類を書いてもらって無事に配達人生が始まる。


……続く。

働くきっかけ。その1

  • 2019.08.18 Sunday
  • 06:51

コロコロコミックで「ゲームセンターあらし」などを連載されていたすがやみつる先生が描いた「こんにちはマイコン」。

これを読んで

「マイコン(パソコンのこと)が欲しい」

などと短絡的に考えた。

しかも、2巻の巻末に載っていたPC–6001マーク2。なにせ売りが「喋るマイコン」。


しかし、小学6年生にマイコンを買える金などない。


どうするか?短絡的な小6男子は働くことに決めた。

今はどうか知らないが、僕が小学生のころはまだ子どもが新聞配達をすることができた。すでに新聞配達をしていたクラスメイトに頼んで配達所に連れて行ってもらった。

だが、そこは僕が住んでいる地域の管轄外だったので断られてしまった。


……続く。

台風の思い出

  • 2019.08.16 Friday
  • 07:53

僕の故郷の大分県でも今回の台風10号の影響があったみたい。

だけど、子どものころのイメージだと大分県って台風がこないところだった。


小学生の頃は台風が来るとなると朝からテレビにかじりついて、台風が来ることを願っていた。もちろん、台風のせいで休校になることを期待してるから。

結局、大抵は四国、本州に行くか朝鮮半島側に避けていって大分は多少の雨風だけで済む。学校は普通に行かないといけない。


6年生だったと思うけど、台風が来るか来ないかわからないときに登校したことがある。教室に着くとチラホラと生徒がいるが、さすがにいつもより少ない。


やがて担任の先生が

「今日は休みになったんだけど」

と告げに来た。


どうやら僕らは連絡網が来る前に登校したらしい。もしかしたら登校したために連絡網が回らなかったのかも。


結局、さらに風雨が強くなった中を傘を差して帰ることになった。傘を抑えながらゆっくり歩いてると、

フワッ

と体が少しだけ浮いた。


すぐに着地したが、数センチとはいえ台風に飛ばされたのは生まれてはじめてだったからえらい興奮した。


でも、その後このことを話しても誰にも信じてもらえなかった。


最近は自分も

「錯覚だったかも」

って思うようになった。

もっとも怖れられたバッター

  • 2019.07.15 Monday
  • 06:05
昔から運動神経がなかった。

高校の体育の授業でたまにソフトボールをやることがあった。男子が17〜8名いたので二手に別れて試合をする。

僕はそこで
「バッターボックスに立たせたくない男」
と呼ばれていた。

僕のいるチームの攻撃の回。僕は大抵8番か9番目の打順。
僕の打席になると周囲がざわつく。気にせずバッターボックスに立つ僕。

緊張した面持ちでバットを構え、ピッチャーは投球フォームに入る。

ピッチャー投げた。

バットを振った!

ボールが当たった!!

飛んだ!!!

バットが!!!!

味方ベンチに向かって!!!!!

逃げ惑うチームメイト。僕はそれを振り向きもせずファーストに向かって全力で駆ける。
ボールはポテンとピッチャーゴロで悠々と拾われてファーストに投げられアウト。

ベンチに戻ると体育の先生から怒られる怒られる。
「バットをその場に落とせ」
と言われても遠心力がかかってるんだから、遠くに飛ぶものでしょう。

3年間、よくもまあ怪我人が出なかったもんだ。みんな運動神経がいいなぁ。

すき焼きは怖い

  • 2016.01.27 Wednesday
  • 23:38

今から24年前に僕は社会人サークルの劇団に入っていた。その初舞台がすき焼きを食べる役だった。初舞台だから当然脇役。なぜか他人の家に上がり込んで夕食のすき焼きを蘊蓄を垂れながら味見と称して食べる役。これもおいしい役というんだろうか?
 

しかも舞台の上で実際に食べた。なぜ、すき焼きを食べたのかと言うと、戯曲のト書きに書いてあったから。
公演は3日間、予算の関係上稽古の時には食べる真似をしただけ。本番直前になってから食材を準備した。
牛肉に豆腐、白菜、しらたき、糸こんにゃくに椎茸とかがあったと思う。
ト書きには肉としらたきは食べるシーンがあったのでこれだけは食べなければいけない。もちろん、玉子もつけてね。


それらのすき焼きは予算の都合上、1人前のみ。それを作ってしまえば千秋楽まで補充はない。ト書きには野菜を追加するシーンがあったので多少は入ったと思う。でも、ト書きにしらたきを食べると書いてあっても千秋楽には残っていなかったりする。なんとかほんの少しの数本のしらたきを見つけて美味しそうに食べる。
牛肉はたっぷり買ってあったので探して食べるなんてことはなかった。


その3日間の公演中、そのすき焼きはどうしていたか。もちろん、無くなっては困るので大事に楽屋の隅に置いていた。鍋に入ったまま。冷蔵庫ではなく。楽屋には冷蔵庫なんて無かったし。玉子もパックに入ったまま常温で。たしか、季節は秋口に入っていたと思う。


そして、千秋楽!大きなミスもなく、無事に千秋楽を迎える。当時、サラリーマンだった。平日の4日間(初日は舞台設営と通し稽古に当てた)も有給を取ったので、
「明日から仕事か・・・・・・」
と、思いながら千秋楽の感慨に浸る間もなかった。なにしろ最終ステージが夜の回だったので、バラシ(舞台を元の状態に片付けること)を大急ぎで行って、本格的な打ち上げは後日という事で軽く缶ビールで乾杯して撤収した。


そして、翌朝。さて、仕事かと起きようと思ったら猛烈な腹痛!?


・・・・・・考える間でもない、すき焼きにあたりやがった!肉にあたったのか、それとも玉子か?もしかしたら、両方か?


今、思うとよく死ななかったな。と、言うよりよく仕事ができたな。あんまり覚えてないけど、2〜3日は苦しかったと思う。不幸中の幸いは物語の都合上、すき焼きを食べたのが僕だけだったこと。もし、他の人が食べてたり、公演期間が1週間とかだったらどうなっていた事やら。


以前の日記『カツ丼のルーツ』

>醤油の濃い味付けも肉の臭みを誤魔化すのに一役買っている。

と、書いたのはこの時の経験があったから。すき焼きの味付けはけっこうごまかしが利くぞ。

サンタなんて信じない

  • 2015.12.25 Friday
  • 00:28

いや、『存在』ではなく『人間性』の方。

39年前のクリスマス・イブ。小学校1年生だった僕は、その時始めて知ったのか、靴下を枕元に置いて寝るとサンタさんからプレゼントがもらえるというので兄と二人、実行することにした。
それぞれ欲しいプレゼントを書いたメモを添えて靴下と一緒に枕元へ。兄は当時流行っていた野球盤。僕はたしかテレビゲームだったと思う。

わくわくしながら、布団に入ったのを覚えている。

結果はご想像通り。何をもらったかは覚えていないが、テレビゲームではなかったことはたしか。それだけならまだしも、兄はしっかりと野球盤をゲットしたのが腹立たしい。いやあ、あの時は朝から大泣きしたなぁ。
祖母が慰めてくれたけど、なかなか泣き止まなかったっけ。

ただ、枕元に靴下を置いたのは後にも先にもその年だけだったから、やっぱりサンタさんを信じられなくなったんだろう。

今、思えば当日突然のプレゼントのリクエストに対応できるわけもないのにね。

フライトジャケットとアメ横と熱量があったあの時

  • 2014.05.11 Sunday
  • 01:19

元々衣食住に金をかけることが少なかった。食には少しはかけていたけど、それでも高い物を食べると言う感覚は皆無だったな。住にいたっては自分で家賃を払った経験がないくらい。

そんな僕なのに衣に金をかけていた時期があった。と、言ってもジャケットにだけだけど。

演劇集団キャラメルボックスで毎年発行されていた『キャラメルボックス公式ハンドブック』、その一番最初だったか次の年のやつだったか忘れてしまったが、当時所属していた上川隆也さんがご自身が好きなフライトジャケットについて見開き2ページで直筆のイラストを添えて熱く語っておられた。

ちょうど季節が冬だったこともありだったら、上着としてフライトジャケットを買おうかなと考えた。

だからといってここですぐにジャケットを買ったりしない。まずは本屋に行ってフライトジャケットのカタログを買う。そこでフライトジャケットってなんなのかを調査する。

米軍フライトジャケットの歴史やそれぞれの防寒性能などで分類されたゾーンタイプなどをはじめて知る。とりあえずインターメディアゾーンの中からB-15Cをアメリカ村のお店で購入する。

それから他のライトゾーンとヘビーゾーンは揃えたいなと思う。カタログを隅からスミまで読んで東京のアメヤ横丁の中田商店のA-2とB-3だったら2〜3万円台で購入できそうなのでわざわざ年末のアメ横まで出かけて購入するという暴挙に出る。ものすごい人通りだったなぁ。

そこまでのめり込んでいたのだが、翌年には新たに購入しようという意欲は失せていた。なんて熱量がないんだ。

それでもアメ横で買ったA-2とB-3は今でも愛用している。充分元は取ったと思う。

それ以降自分で買う時にはこんなに高い物は買っていない。だから、嫁さんが僕のために買ってくれる服の値段を見るとビックリする。そんな高いのじゃなくていいのに。

でも、いいものは長持ちするからと買ってくれる。ありがとう。

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