走るヘルメット

  • 2022.12.23 Friday
  • 06:58
補助輪なしの自転車に乗れるようになったのは、ずいぶん遅かった。小学4年に兄や友だちの協力でやっと乗れるようになった。

そうなると嬉しくなってあちこち乗り回す。ただ慣れてないのでコケることもしばしば。
だから、ヘルメットをかぶることにした。

でも、当時は子供用のヘルメットなんてあったかもしれないけど見たことなかった。

それで父のオートバイのヘルメットをかぶって乗ることにした。
「仮面ライダー」の一文字隼人みたいなヘルメットね。

クラスで二番目に背の低い男子が大人用のバイクのメットをかぶって子供用の自転車に乗ると目立つらしく、それでついたあだ名が

「走るヘルメット」

……すごくダサい。まあ気にせずに乗り回してたけど。

ある日、いつものように自転車に乗って団地の出入り口の坂を下りてT字路を右に曲がろうとしたら、右手からスクーターが!

自転車の前輪にぶつかって当然僕が吹っ飛んだ。
ヘルメットをかぶってるので重い頭から落っこちた。そのために無傷。

ヘルメット着用 自転車は全年齢で努力義務化 罰則や取り締まりは | NHK
https://bit.ly/3FOFg8d

来年4月にヘルメット着用が義務になるらしい。
子どもの頃の経験があるから大賛成。

だから義務化される直前になったら品薄になると思うので急いで買っとこう。

鰻って焼く前に蒸すのか

  • 2022.10.03 Monday
  • 07:49
「相葉マナブ」を観てる。かなりざっくり言うと相葉雅紀さんたちがいろんなところで料理をする番組。

今回は鰻。白焼きやうな重を作って食べてる。

そういえば僕は高校生のころスーパーの鮮魚売り場で鰻をはじめとして焼いていたな。
捌いたこともあったけどだいたい土用になったら連日焼くだけだった。

捌いた鰻を端から焼いていくがすぐに売れていく。文字通り飛ぶように売れていく。

僕も自分が焼いた鰻を買って帰った。父と一緒に食べたんだけど
「美味しいんだけど、本当の鰻は口に入れたらトロッととけるように広がるんだよな。焼きが弱いんじゃないか」
とダメを出される。

いや、そんなこと言われても。教わった通り焼いてるだけだもん。

で、「相葉マナブ」を観ると焼く前に鰻を蒸してる。

そうか!焼く前に蒸さないととけるようにならないんだ。やっとわかった。

だけどあんな忙しいときに、そんな悠長に蒸してられないよ。

40年以上「猪木!がんばれ!」だと思ってた

  • 2022.10.02 Sunday
  • 06:59
あれって「イノキ!ボンバイエ!」だったのね。

プロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなった。

新日本プロレスで猪木さんと人気を二分していた藤波辰巳さんが大分県出身だからか新日の中継は日曜日の夕方だった。
そのために子どもの頃はずいぶん観てた。野球も観なかった父が唯一観ていたスポーツでもあった。

そんな父が一度だけ新日の試合に連れていってくれた。

大分の河川敷に作られた野外リングでの試合。メーンイベントは「アントニオ猪木×藤波辰巳vs.タイガー・ジェット・シン×アンドレ・ザ・ジャイアント」戦。

試合が始まると観ていた観客の大人たちは一斉にリングに群がった。
僕は小学4年生くらいで背がクラスで一番低かった。だから大人たちが集まるとリングが全く見えない。後方へ下がってもパイプ椅子に乗っても見えない。

兄たち他の子どもたちは会場を囲んでるフェンスによじ登って見ていたが僕はそんな運動神経はない。

しかたなく大人たちの後頭部を見ていた。

ただ大人たちの頭の群れよりも一段高いところにアンドレ・ザ・ジャイアントの頭だけがひょっこりと見える。さすが「ジャイアント」のリングネームを冠してるだけのことはある。

おかげで試合は見られなかったがアンドレの動きだけはわかった。

結局あれから40年以上の間、生でアントニオ猪木氏を見ることはなかったな。

父よあなたは間違っていた

  • 2022.03.19 Saturday
  • 07:36

僕が高校生の頃、今は亡き父から言われた

「若いときは髪の毛にいきおいがあるから、そうやって逆立つんだ。だからちゃんととかしなさい。年取ったら俺みたいにいきおいがなくなるから」

寝起きで面倒くさかったから適当に聞いていた。

ああ、年取ったら櫛いれなくていいんだ。そう父の教えを曲解してた。

もう当時の父の歳を超えた。

朝、鏡を見て

「親父の嘘つき」

と思った。

俺も昔はワルだった……らしいよ

  • 2020.08.07 Friday
  • 07:55

中学生の頃、男子は技術科の授業が終わって自分たちの教室に戻った。教室では女子が家庭科の授業があって、黒板には板書がそのまま残ってた。


その板書を見て思わず笑ってしまった。


そこには子どもが非行に走る要因がリストアップされてた。曰く、

「片親である」

「子どもが朝食をとらない」等々。

そのリスト全部は覚えてないんだけど、そのリスト全部僕に当てはまってた。


「うわあ、俺って不良だったんだ」


面白かったのでその日の夜に父親にそれを伝えたら微妙な顔をしてた。


正直、バカバカしい。僕は自分が非行に走ってないことを知ってるし、不良に目障り扱いされてるのもわかってる。

高校時代に妊娠中絶の費用のカンパを集めたらしいんだけど、僕は華麗にスルーされてた。これもイジメなのかしら?

まあ、カンパ箱が回っても払わなかったけど。


そんな奴がどうやって不良になるというんだ?

人生で一番歩いた9年前その4

  • 2020.03.14 Saturday
  • 07:25

さらに歩くとかつやが見つかった。


ああ、かつ丼食べたいな。これだったら松屋で食べるんじゃなかったな。


そう思いながらかつやの前を通り過ぎたら店内は暗かった。よくよく見ると営業はしてるんだけど、弁当だけみたい。


暖かいところで食べられないんだったら辛いな。松屋で食べといて良かった。

などと良かった探しが出来てしまった。


やっと家に帰り着いたのはマンションを出てから3時間だったか4時間だったか。

それでも後に聞いた話しだけど、都心から帰った人は7時間かかって帰ったらしい。

まだ僕はマシだったんだな。


終わり。

人生で一番歩いた9年前その3

  • 2020.03.13 Friday
  • 07:51

歩き始め良かったんだけどさすがに一時間以上歩いてると、さすがに疲れる。


ふと横の渋滞の車道を見るとタクシーが空車でいた。

これは乗った方がいいか?


家までお金がいくらかかかるかわからないが、着いてから払えばいいかなと思った。だけど、決断がつかないままタクシーを通りすぎだ。


改めて車道を見ると、先ほどのタクシーははるか後方にいた。車は全然動いてなかった。乗らなくてよかった。


しばらく歩いてると自転車屋が見つかった。灯りが付いてるから営業中みたいだ。


自転車買おうかな。


そう思った。だけど、家族の自転車はちゃんとあるから、安いやつを買ったとしても持て余すよな。


結局、買わずにまた歩く。

人生で一番歩いた9年前その2

  • 2020.03.12 Thursday
  • 07:50

僕が踏切を上げたら線路の向こう側でも別の人が踏切を上げたので、双方から人が線路を超えることができた。


数十人が渡ったのを見計らって僕も渡った。そんないつまでも踏切持ってられないから。


立川に着くとやっぱりJR駅は閉まってる。バスやタクシー乗り場は長蛇の列が並んでる。レンタカー屋も。

松屋が開いてたのでカルビ焼肉定食を食べて腹ごしらえをして外に出るとモノレールが動いてるのが見えた。


モノレールで玉川上水に行ったら西武線は止まってた。よくモノレール動いてたな。


ここなら自転車で来たことが何度もあるから、道は知ってる。思い切って歩いて帰ることにした。

人生で一番歩いた9年前その1

  • 2020.03.11 Wednesday
  • 07:55

東日本大震災から9年経った。あの時、地震が起きたなんて気がつかなかったんだよな。


廊下で掃除をしてたら立ちくらみがしたと思ったら実は地震だった。一基を除いてエレベーターは止まって車椅子でデイケアに行ってた居住者さんが戻った時も大変だったけど、一番大変だったのは仕事が終わって帰るときだったな。


JRは全線止まったからとりあえず立川まで歩くことにした。電車は止まってるのに踏切はなぜが降りていた。お巡りさんがそこにいるんだけど、どうこうすることは立場上できない。

女性がお巡りさんに向かって

「ここを通して」

って怒ってたけどお巡りさんに言ってもしょうがないでしょう。

お巡りさんも

「見なかったことにするから、くぐって行ってください」

ってかなり立場上、問題になりそうなことを言ってくれたんだけど、誰もくぐろうとしない。


仕方ないから、僕が踏切を上げて周囲にいる人を通すことにした。

ホーバークラフトって乗らなかったな

  • 2020.03.07 Saturday
  • 07:21

大分県がホーバークラフトを2023年に復活させることを決めたそうだ。

ホーバークラフトは大分空港から大分市、別府市などを結ぶ水陸両用艇で港に停泊させているのではなく、海岸に上陸している船に乗船してそのまま、海岸を走って海に入るのが売り。


国東市に住んでいた子どもの頃には母に連れられて空港の近くにある大分基地から乗って行った覚えが微かにある。

あの時は満員で大人の足しか見えなかったから外がどんなふうだったのかは見てなかったと思う。


大人になって帰省してもホーバークラフトよりもバスかタクシーで高速道路に乗って帰ることが多かった。実家が空港と別府市の間だったからホーバークラフトに乗ってまた戻るのは非効率だったからね。


たぶん、僕みたいな人が多かったから潰れちゃったんだろうな。

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