アルジャーノンに花束を感想・愛したいのに愛せない
- 2012.08.09 Thursday
- 00:52
以下、現在上演中の演劇集団キャラメルボックスの公演「アルジャーノンに花束を」に関するネタバレを書いています。未見の方はお気をつけ下さい。
先週8月4日に観た「アルジャーノンに花束を」で原作と違うと感じたことは坂口理恵さんが演じたチャーリイの母親ローズ・ゴードンが実はチャーリイを愛していたのではないかと感じたことだった。
もちろん、原作とセリフも行動も違っていない。むしろ、狂気の部分は原作以上じゃないかと思った。だけど、原作には感じなかったローズの愛情が強く感じられた。
ところで、この演劇集団キャラメルボックスの代表作に「サンタクロースが歌ってくれた」という作品がある。これは劇中映画「ハイカラ探偵物語」のストーリーがなぜか変わってしまってこのままじゃエンディングまでたどり着くことができないからと登場人物たちがスクリーンを飛び出してしまうという荒唐無稽なお芝居。
その中の登場人物の一人、平井太郎を演じた役者が台本のセリフを一切変えずに感情のみを変えて芝居をしたことを告白した。そのせいで映画のストーリーが大きく変わることになってしまった。
もし、ローズを普通に演じていたら、チャーリイが憎くて仕方がないという感情で演じていたと思う。しかし、坂口さんはおそらく平井太郎を演じた役者のようにその心のなかで「チャーリイを愛したい。でも、どうしても愛することができない」という葛藤を持ち続けて演じているのではないだろうか?それが原作と違うと感じさせたのではなかったのだろうか?
ローズにとってチャーリイに対する愛情とは何だったのだろうか?僕は「人並み」じゃなかったかと思う。チャーリイに他人と同じになって欲しかった。周りの子供達と同じくらいの学力、同じくらいの運動能力、せめて普通にしゃべってくれたら。そういう思いがチャーリイにスパルタな教育を与えてしまったのではないだろうか?
そして、数年後ノーマという女の子が生まれたら状況が一変する。チャーリイにかけていた教育は放棄。むしろ、ノーマに対して何かするのではないか?ノーマがチャーリイのせいでいじめられてしまう。私たちの人並みの暮らしはチャーリイのせいで壊されてしまう。ついには夫のマットにチャーリイを追い出すようにナイフを向けながら脅しをかける。その感情の裏に「自分はなぜ、自分の子供にこんな敵意を向けなければならないのだろうか?」という相反する感情がうごめいていたのではないのか?そう思えて仕方がない。
家を追い出されてから17年後、天才になったチャーリイは生家を訪ねていく。そこには玄関先を掃いていたローズの姿が。しかし、ローズは認知症が進行していた。チャーリイのことを思い出すことはないと思っていたがすぐに17年たち、しかも知能が向上したせいで顔つきまで変わったチャーリイを思い出した。妹のノーマもひと目でチャーリイのことを認識した。その前にあった父親のマットは最後まで思い出すことすらなかったのに。
マットはチャーリイをそのまま受け入れることを主張し続けてきた。普通に考えたらマットのほうがチャーリイに対して愛情を持っていたと考えるのだろう。しかし、チャーリイを追い出してもっとも安堵したのはむしろ、マットではなかったのではないか?その証拠にマットはチャーリイを認識することができなかったのだから。
ローズはチャーリイを自分なりに愛そうと努力し続けた。坂口さん、いやキャラメルボックスのその解釈は正しいと思う。だが、それは坂口さん自身がものすごく辛い2時間を過ごさなければいけないことになっていると思う。100%の悪意を持つのは却って気が楽だと思う。でも、愛したいのに愛せない感情を持ち続け常に贖罪を抱える心持ちで演技をし続けるのは並大抵のことではないだろう。キャラメルボックスで二十数年間舞台に立ち続けた坂口さんだから、そういう役を与えられたのだろうなと思う。
頑張れ、ぐっちーさん。
先週8月4日に観た「アルジャーノンに花束を」で原作と違うと感じたことは坂口理恵さんが演じたチャーリイの母親ローズ・ゴードンが実はチャーリイを愛していたのではないかと感じたことだった。
もちろん、原作とセリフも行動も違っていない。むしろ、狂気の部分は原作以上じゃないかと思った。だけど、原作には感じなかったローズの愛情が強く感じられた。
ところで、この演劇集団キャラメルボックスの代表作に「サンタクロースが歌ってくれた」という作品がある。これは劇中映画「ハイカラ探偵物語」のストーリーがなぜか変わってしまってこのままじゃエンディングまでたどり着くことができないからと登場人物たちがスクリーンを飛び出してしまうという荒唐無稽なお芝居。
その中の登場人物の一人、平井太郎を演じた役者が台本のセリフを一切変えずに感情のみを変えて芝居をしたことを告白した。そのせいで映画のストーリーが大きく変わることになってしまった。
もし、ローズを普通に演じていたら、チャーリイが憎くて仕方がないという感情で演じていたと思う。しかし、坂口さんはおそらく平井太郎を演じた役者のようにその心のなかで「チャーリイを愛したい。でも、どうしても愛することができない」という葛藤を持ち続けて演じているのではないだろうか?それが原作と違うと感じさせたのではなかったのだろうか?
ローズにとってチャーリイに対する愛情とは何だったのだろうか?僕は「人並み」じゃなかったかと思う。チャーリイに他人と同じになって欲しかった。周りの子供達と同じくらいの学力、同じくらいの運動能力、せめて普通にしゃべってくれたら。そういう思いがチャーリイにスパルタな教育を与えてしまったのではないだろうか?
そして、数年後ノーマという女の子が生まれたら状況が一変する。チャーリイにかけていた教育は放棄。むしろ、ノーマに対して何かするのではないか?ノーマがチャーリイのせいでいじめられてしまう。私たちの人並みの暮らしはチャーリイのせいで壊されてしまう。ついには夫のマットにチャーリイを追い出すようにナイフを向けながら脅しをかける。その感情の裏に「自分はなぜ、自分の子供にこんな敵意を向けなければならないのだろうか?」という相反する感情がうごめいていたのではないのか?そう思えて仕方がない。
家を追い出されてから17年後、天才になったチャーリイは生家を訪ねていく。そこには玄関先を掃いていたローズの姿が。しかし、ローズは認知症が進行していた。チャーリイのことを思い出すことはないと思っていたがすぐに17年たち、しかも知能が向上したせいで顔つきまで変わったチャーリイを思い出した。妹のノーマもひと目でチャーリイのことを認識した。その前にあった父親のマットは最後まで思い出すことすらなかったのに。
マットはチャーリイをそのまま受け入れることを主張し続けてきた。普通に考えたらマットのほうがチャーリイに対して愛情を持っていたと考えるのだろう。しかし、チャーリイを追い出してもっとも安堵したのはむしろ、マットではなかったのではないか?その証拠にマットはチャーリイを認識することができなかったのだから。
ローズはチャーリイを自分なりに愛そうと努力し続けた。坂口さん、いやキャラメルボックスのその解釈は正しいと思う。だが、それは坂口さん自身がものすごく辛い2時間を過ごさなければいけないことになっていると思う。100%の悪意を持つのは却って気が楽だと思う。でも、愛したいのに愛せない感情を持ち続け常に贖罪を抱える心持ちで演技をし続けるのは並大抵のことではないだろう。キャラメルボックスで二十数年間舞台に立ち続けた坂口さんだから、そういう役を与えられたのだろうなと思う。
頑張れ、ぐっちーさん。