相沢友子さんは面白い話が書けないのではないか仮説
- 2024.03.10 Sunday
- 07:02
「セクシー田中さん」の既刊7巻とHuluで配信されているドラマをすべて観た。
ドラマはかなり原作を忠実に描いていたと思う。芦原先生の苦労が偲ばれる。
ただおかげでドラマは面白かった。
原作者が書いた最終2話も9話はほぼ原作通り。10話は後半かなり急ぎ足だったが良かったと思う。
ただ気になったのは第4話。
朱里のベリーダンス初舞台のシーン。なかなか思うように踊れないが楽しんでいるところ客席に元カレの進吾を見つける。
激しく動揺する朱里。
ここから3巻第5幕では朱里のダンスが暴走して全く違う踊りをして終える。
ステージ裏で謝罪する。元カレが客席にいたと言い訳すると共演者達がこっそり覗く。
ところがその席はすでに空席。
幻覚?もしくは……。
ヘドバンしてお祓いする共演者達。
この原作だと宗教的要素が強くてテレビでは敬遠したくなる気持ちはわかる。
そのため別のギャグシーンになる。
進吾を見つけてテンパる朱里。振りを大きく間違え共演者にぶつかってしまう。
倒れる共演者。舞台に立てかけてある大道具の柱にぶつかりそれが倒れる。
左右の柱に跨るように乗っていた梁(?)が落っこちて朱里の真上に!
どうなる朱里。
結局、朱里がその梁を受け止めて持ち上げたままフィナーレ。
……いや、大道具の装置なんて軽く作られてるものだから、受け止めて持ち上げることはできるでしょうけど、これって面白いの?
原作と大きく違っているのはこのシーンくらいだけど、ここを見て思った。
僕は原作通りに作られなくて芦原先生は怒ったのかと思っていた。
でも、もっと根本的なこととして出された脚本がことごとく面白くなかったのではないか。
いろんなメディア化経験のある漫画家さんたちも原作通りでなかったと憤っていたけど、もし面白い脚本が上がってきたらOKを出したのではないか。
実際出した経験があったかもしれない。
真相は芦原先生しかわからない。