宮崎駿最新作『風立ちぬ』を観てきた。すごい映画だと思う。ただ楽しませるだけではない。考え感じることのできる作品だ。
だから、思う。この話は嫌だと。
なぜか?それは主人公の堀越二郎が「許されたことが許せない」からだ。
「許された」とは何か?二郎はかなりわがままだ。
子供時代、いじめられてる友達(?)を助けたり、満員電車の中で女性に席を譲ったりしている。その直後、関東大震災に遭遇。電車に同乗していた里見菜穂子と女中のきぬを助ける。
だから、正義感にあふれる青年だと一見思う。でも、違う。
年月が経って、三菱に入って飛行機の製作の仕事をしてからのこと。仕事帰りにお腹を空かせて親の帰りを待っている姉弟に会う。ちょうど買っていた「シベリア」というお菓子を与えようとしたら姉から拒絶される。
その事を同僚の本城に話したら
「君はその子供たちに施して、感謝されたいと思ったのか?」
と、問われ一度は否定したが
「そうかもしれない」
と、思い直してる。
それはいい。善意というのは感謝されたい、などの偽善から始まるものだから。いじめられていた友達や、足の骨を折って帰ることのできなかった女中のきぬなどのようにそれで救われる人がいるのだから。それはとてもいい。
だが、二郎のわがままは悪い方向にも出てくる。しかも礼儀正しい好青年だから観客は一見気づかない。
この映画の中盤以降、二郎は里見菜穂子と再会し、いくつかのエピソードの後、二人は恋に落ちる。
菜穂子は母親と同じ結核に罹っている。
二郎との婚約が決まるが、自分が喀血したと聞き大急ぎでやってきた二郎のために高原病院に入院する事を決める。
二郎から来る手紙を心待ちにしながら療養する菜穂子。だが、来た手紙を読み悲しい顔をする。
岡田斗司夫さんは、この手紙の文面は最初の数行は菜穂子を気遣う内容だが、それ以降は自分の仕事のことばかり書かれていただろうと推測している。
おそらくそうだと思う。そうでなければ、あんな悲しそうな顔をするわけはない。それにその後、二郎に会うために病院を脱け出すこともないだろう。
駅で二郎と再会した菜穂子は一目見たら帰ろうと思ったと言う。しかし二郎がそれを止める。
「帰らないで。一緒に暮らそう」
菜穂子は受け入れ、そのまま二郎が住んでいる二郎の上司の黒川の屋敷に行く。
結婚すると宣言し、黒川夫妻に仲人を頼む二人。夫人は快諾するが黒川はいい顔をしない。それどころか二郎に向かって
「それ(結婚)は君のエゴではないのか?」
と、言い放つ。二郎はそれに対して、
「彼女を病院に戻すということは、僕が仕事を辞めて看病するということ。それは出来ません。僕達には時間がありません。覚悟はできています」
黒川の言うことは正しい。そして、同じようなことを二郎に言うもう一人の人物が現れる。二郎の妹加代だ。
加代は二郎に会う度に
「兄様は薄情」
と、言う。加代は二郎のことが嫌いなのかというとむしろ逆。薄情という時以外の加代は二郎と一緒にいることが本当に好きなのだろう。嬉しそうな態度がそれを証明している。
その加代が二郎の結婚を聞いて両親の名代として黒川邸にやってきた。二郎が帰ってくるまでに菜穂子と話をしたらしい加代は菜穂子のことを好きになっている。二郎も菜穂子も好きな加代はだからこそ提案する。
「病院に戻すことは出来ませんか?」
と。
黒川に言ったことと同じことを話す二郎。
黒川も加代も二郎や菜穂子の事を思って言っている。そしてそれは正しい。菜穂子は病院で療養すべきだった。二郎は無理にでも菜穂子を早く帰すべきだった。
加代が再訪する日に菜穂子は黒川邸を出て行く。置き手紙には病院に戻ると書き添えて。その頃、二郎は新設計の戦闘機のテスト飛行の最中だった。テスト中に一陣の風が吹いた時、二郎は菜穂子の死を知ったのだろう。テスト成功に沸き立つ周りをよそに二郎は呆然としていたから。
物語の場所は突然、草原に変わる。そこはダンテの「神曲」の煉獄と呼ばれる場所らしい。よく知らないが死後の世界とこの世との境に存在する場所?三途の川みたいなものか?それはそれとして、その煉獄で二郎は菜穂子と再会する。
二郎に向かい菜穂子は
「あなた、生きて」
と、告げる。
その言葉に泣いて感謝する二郎。
………………気に食わない。
何が気に食わないのか。二郎が許されたことが気に食わない。岡田さんはこの映画を「残酷で美しい話」として評価していた。僕も同じだ。「残酷で美しい話」としてとてもすごい映画だと評価できる。でも、気に食わない。なぜか?僕が二郎だったら仕事を辞めて菜穂子に付き添っていただろう。僕自身、精神病の妻と結婚するために仕事を辞めて上京してきたから。病人が愛する人の元へ向かう意味がわからない。
菜穂子が二郎を肯定し、許すことで救われる男性は多いと思う。女性は苦笑するか失笑するかもしれない。僕は加代がボロ泣きしたところで涙腺が緩んで同じ様に泣いた。そして煉獄のシーンで猛烈に憤った。僕の人生を否定されたと感じたからかもしれない。
男は仕事に生き、女はそれを許すしかない。そんな人生を生きたいとは露ほども思わないし、否定したいくらいだ。